では、なぜ失敗したのでしょうか?
詳しくは説明しませんが、ナショナリズムの力のせいです。
わたくしはイラク戦争に反対する代表的な人物のひとりでした。
反対したのは、わたくしがアメリカ軍に在籍していた1965年から1975年までの期間、ベトナム戦争が行われていたいことと関係しています。
イラクへの侵攻を考えていると聞いた時、私は、アメリカ政府関係者は正気を失っていると言いました。
アメリカ軍が信じられないほど強力な戦闘力を持っていることは間違いありません。
中国とロシアを除けば、世界のほとんどすべての政権を倒すことができます。
イランでもイラクでもシリアでも、政権を倒すことはできます。
問題は、一旦その場所を自分のものにしたらどうするかということです。
最初の日、最初の週、最初の月は、あなたは解放者として迎えられます。
いろいろな人がサダムフセインを追い払ったことを喜びました。
しかし、その後、我々は社会工学を行うために留まらなければなりませんでした。
そして、そのことによって、大きなトラブルが起きることは必然です。
主権について話したことを覚えていますよね?
自己決定について話したことを覚えていますよね?
イラクの人たちが、どの色のトイレットペーパーを使うべきかについて、アメリカに指図されるのを望んでいたと思いますか?
彼らはまったく望んでいなかったと思います。
それだけでなく、本気の抵抗運動もありました。
ロシアを破滅させたいのなら、ウクライナに侵攻しろと言えばいいでしょう。
ラトビア、リトアニア、エストニアにも攻め込ませればよいのです。
東欧にソビエト帝国を再興させればよいのです。
それで、ロシアが力を増すと思いますか?
ロシアは大変な苦境に陥るでしょう。。
私は1979年にソビエトがアフガニスタンに侵攻した時のことを覚えています。
アメリカの政府関係者や安全保障関係者の誰もが愕然としていました。
大変だ、ソビエトが進軍している、これは世界の終わりだ」と。
私は、「それは勘違いだ。彼らは巨大な泥沼に飛び込んだだけだ」と言いました。
アメリカがベトナム戦争によって、国家がバラバラになったり、軍隊が壊滅しそうになったのと同じような状態に、ソ連も陥る、ということです。
だから、当時、ソ連との軍拡競争に巻き込まれていたアメリカにとって望ましいことは、ソ連をアフガニスタンに侵攻させることだったのです。
2000年代初頭に初めて中国に行きましたが、中国人が、アメリカ人に次のようなことを言いたがっていました。
「テロとの戦いに勝つためにアメリカ人を頼りにしている」
「アメリカがテロとの戦争に勝つまで、アフガニスタンとイラクに留まるべきだ」
アメリカが、テロとの戦いを続ければ、永遠に中東地域にとどまることになるので、軍を疲弊させ、経済を破壊し続けることになるのです。
ここから得られる教訓は何だと思いますか?
どうしても行く必要がない限り、その場所には近づくな、ということです。
しかし、アメリカは正反対の世界観を持っていました。
リベラリズムに基づく外交政策をとっていたからです。
われわれには、その社会を作り替える権利と責任と能力があると考えたのです。
ナショナリズムの力を過小評価してはいけません。
アメリカ人はナショナリズムが強い国民です。
地球上の他の誰もが非常にナショナリスティックです。
ナショナリズムとは自己決定と主権のことです。
もしあなたが、他国に自分たちの国の政治を干渉されるのが嫌だと思うなら、他国も、あなたと同じように嫌だと思うのは当たり前です。
中国やロシアという非常に強大な国に対して、他の大国と軍事同盟を結び、その軍事力を中国やロシアの国境まで移動させれば、大変なことになります。
私は少し前に中国人と話したばかりですが、彼らは自国の沿岸にアメリカの海軍や空軍がいることについて、本当に煩わしいと思っています。
彼らは、本当に嫌がっています。
彼らを責めるつもりはありません。(彼らの気持ちは理解できます)
しかし、わたくしは、アメリカ人としては、中国の周囲に軍事力を維持し続けたいのです。
わたくしは中国を封じ込めたいと思っているということです。
ここで、はっきりさせておきたいことは、私は現実主義者だから、中国を甘く見たくないということです。
しかし、彼らが怒るのも理解できます。
繰り返しになりますが、リベラルな覇権主義者は、このような外交政策は取らないのです。
次は、個人の権利を過剰に売り込むことと、非自由主義的リベラリズムについて、ごく簡単にお話ししたいと思います。
個人の権利を過剰に売り込むことについてですが、実際、アメリカでは権利の重要性が大々的に主張されています。
しかし、世界を見渡せば、ほとんどの人は個人の権利がそれほど重要だとは思っていません。
アメリカのような徹底したリベラルな国では、そのような主張もある程度は通用します。
しかし、海外、特に安全保障を重視する国々では、それは非常に難しいことなのです。
今ロシアに行き、自由民主主義や権利について話すと、彼らはほとんど全員、このように言うでしょう。
「1990年代にそれを試したが、ロシアは開拓時代の米国西部地方のような無法地帯になってしまった」
「我々ロシア人は、プーチンとソフトな権威主義という政治体制の方がずっと幸せだ。」
「その方が私たちロシア人に合っているし、私たちは権利についてそれほど気にしていない。」
「我々ロシア人にも、ある程度の権利があるが、アメリカ人ほどの権利はないことは理解している」
「しかし、アメリカのような政治体制は望んでいない。」
「それを試してみたが、ロシアではうまくいかなかったからだ」
要するに、私が言いたいことは、他国を侵略し、社会工学を駆使して自由民主主義国家に変えようと考えたとしても、ほとんどすべての国の人々は、「個人の権利が重視される自由民主主義国家に変えることが重要なことである」とは思っていないということです。
個人の権利が重要でないわけではありません。
しかし、人々は個人の権利を切望していないのです。
多くの場合、安定を切望しているだけです。
もしあなたがイラク人で、2003年にアメリカがやってきて、政権を倒し、混乱が起きたとしましょう。
その混乱した2、3年の期間、あなたは自由民主主義社会ができないからといって、そのことに悩むことはないでしょう。
個人の権利がないからといって、悩むこともないでしょう。
自分や自分の家族が殺されないために、国を安定させるために何ができるかを考えるでしょう。
アメリカ人は、個人の権利を過大評価する傾向があります。
しかし、ナショナリズムの力とリアリズムの力が結びついた時、リベラル覇権主義はうまくいかなくなるのです。
※続き
⑨非自由主義的なリベラリズム
→日本語訳
※注釈
ミアシャイマーの主張する中国封じ込め政策は、大国は緩衝地帯をおびやかされると攻撃的に反応するという主張から考えると戦争を誘発することになります。クリストファーレインはこの点に関してミアシャイマーを批判しています。
この訳に基づいて製作された動画はこちらです(関連写真も入れているので理解の一助になります)。
※この講演は、下記の著作の内容に基づいています。
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