わたくしが最後に言いたいのは、非自由主義的リベラリズムについてです。
最初に、リベラリズムについてわたくしがなにを話したか覚えていますか?
リベラリズムは、第一原理について普遍的な合意に達することができない、つまり、なにが最も優れた価値であるのかなどについて、普遍的な合意に達することはできないという前提の上に成り立っている、とお話ししたのを覚えていますか?
だから、ある種の生かされて生きる、というような政治秩序を発展させるのです。
それがリベラリズムです。
それは政治における、ある種の暫定協定のようなものです。
人々に自分で選択させるのです。
他の人がプロテスタントになりたいと思っても、私はカトリックになりたいと思えるし、他の人がユダヤ教徒になりたいと思っていても、私はイスラム教徒になりたいと思える、ということです。
人々が望むようにさせるのです。
なぜなら、普遍的な合意は得られないからです。
しかし、考えてみれば、リベラル覇権主義は不寛容に基づいています。
なぜなら、誰もが自由民主主義でなければならないと言っているからです。
ロシアにソフトな権威主義があったとしても、別に構わないではないか、というのがわたくしの考えです。
それが彼らの選択だからです。
なぜソフトな権威主義体制ではいけないのでしょうか?
なぜリベラル覇権主義では、すべての人がわれわれと同じでなければならないと言わなければならないのでしょうか?
これはリベラリズムの基本に反していると思います。
※続き
⑩自制的な外交政策について
→日本語訳
※注釈
Illiberal Liberalismという矛盾は、アメリカが世界を統一(平定)するまでの過程における限定的(一時的)なものであると考えれば、矛盾がないと言えるでしょう。
この訳に基づいて製作された動画はこちらです(関連写真も入れているので理解の一助になります)。
※この講演は、下記の著作の内容に基づいています。
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